日本時代の台北城ツアー

『台北城』。現代の私たちはほとんど見たことも聞いたこともないですが、街中にある『城中分店』、『城區部』のような看板はまるで、かつてここにお城が存在したことをひっそりと伝えてくれているようで自然と親しみが感じられます。

『西門町』の名前由来はかご存知ですか?

『中山堂』の入口横にある水道は何のためにあるのでしょうか?

現代の私たちは、台北城をはっきりと見ることはできませんが、街中に残る1930年代の建物や道路の真ん中に未だ堂々とそびえる城門が、かつてこの地に城が存在し政治経済の中心地であったことを教えてくれます。そこには私たちの知らない歴史や日本人との関係、裏話が山ほど眠っています。

台北城の物語は清朝の時代から始まり、城門と城壁ができてから、まもなく日本政府に引き渡されました。台北城は重要な政治経済の中心であり、城内にある東門の向こうには当時台湾一高い建物である総督府が建てられました。総督府の中央高塔に立つと、台北市を一望することができ最高権力者にとって、ここは間違いなく仕事をするにふさわしい場所でした。ここから下を見ると、ルネサンス様式の総督官邸が見えます。その立派で華やかな建築は総督の威厳を示していたともいえます。

 一方、近くの衡陽路は当時市の中心にあり最も賑やかな街でした。ここは一流の商店と二~三階建ての煉瓦造の建物が連ねり、人と車が絕え間なく往来し、まさに栄町を名乗るにふさわしい発展ぶりで「台北の銀座」とも呼ばれていました。数年後、台北市内最初のデパートである菊元百貨店が盛大にオープン。そして、隣の重慶南路は金融街として位置づけられ、唯一無二の中心地としての繁栄しました。

歴史的建造物である土地銀行、台湾博物館、そして赤い煉瓦に白い石を帯状にめぐらせた辰野式建築の台大医院など、日本人の匠の手により建てられた歴史ある建築物を巡ります。ぜひ一緒に台北市の中心エリアを散歩し、歴史背景と共にその建築の美しさを楽しみましょう!